通臂二十四勢
1.通臂二十四勢の歴史源流
「通臂二十四勢」は静海県独流鎮で伝えられている「合一(独流)通背拳」を改編したものである。
河北省静海県独流鎮おいて「合一(独流)通背拳」は古くは「通背拳」若しくは「太祖拳」言われ、その他の地方で伝承されている「通背拳」や「太祖拳」とは違う。
独流通背拳では練習段階や学んだ内容によって「継承者」と「一般の弟子・生徒(学生)」とを区別する為、前者の人達は「通背拳」と呼び、後者は「太祖拳」や「関東拳」、「関西拳」と呼んでいた。今現在天津における「合一通背拳」と「独流通背拳」の練習者達は「通背拳」と「太祖拳」の両方の呼称を使っている。
「合一(独流)通背拳」は正式名称「崑崙派太祖通臂少林門」と言い、古くは清朝乾隆年間、河北省静海県独流鎮に一人の行脚僧が伝えたと言われている。当時、清朝満州族支配に反感を持ち、各地に起こった反満州人・反清朝政府運動の主要人物らを大々的に捜索し、捕られたりした。故に協力した者達も例外なくその対象になった。自分だけでなく、一族郎党皆殺しといった災いを避ける為に出家して僧になったり、姓名を変え各地を渡り歩いたりする者もいた。彼らの中には密かに武術を弟子に伝える者もいたが、ただ逃亡の身でその門派を口に出す事を恐れ、門派の歴史源流を語ることはなかった。その行脚僧もそれらに関与した人物であろうと思われる。
通臂拳の相伝は清朝乾隆年間にまで遡る。河北省静海県独流鎮に呂二爺と言う者がいた。家は貧しく、富裕な家の墓守を生業としていたが後にその土地の一部を貰い受ける。
呂二爺は武術好きで、毎朝墓地に来ては練習を行っていた。ある日、いつものように墓地へ来て練習をしていると、一人の白髪の老僧が離れたところから彼の練習を見ていた。呂二爺は老僧からただならぬ気配を感じ、老僧の眼前へ行き、跪き叩頭し拝師を願うも老僧は再三にわたり断り続ける。しかし老僧は呂二爺の誠意ある態度を見て弟子として迎え入れた。
その日から毎晩老僧は呂二爺に武術の指導を行った。数年後老僧は呂二爺に再び旅立つ事を告げると呂二爺は跪き引き留めようとしたが、老僧は聞き入れず、翌日独流を去った。
この老僧は己の本名や出自、そして門派名など最後まで語る事はなかった。独流において通臂拳を学ぶものは当初「太祖拳」と呼び、伝承が第4,5代に至ると「通背拳」と呼ぶようになった。
老僧が去った後、呂二爺は友人の錫三爺と“于大観音”于蘭の二人に伝えた。後に弟子である李登弟、登善兄弟と李士閃にも伝えられた。
その弟子の中でも李登弟が優れ、呂二爺は後継者として李登弟を選び、練人として友人である于蘭(喂手・練人)を付けて鍛えた。以後独流では第一代を呂二爺、第二代を李登弟とした。
李登弟の跡を継いだのは第三代傅金銘。其の兄の学銘が練人として付いた。傅兄弟の後を継いだのは第四代楊学仕となり、彼の練人となったのは呂漢挙である。
楊学仕の跡を継いだのが第五代“大把勢”劉玉春。練人は任向栄である。第六代は石慶山、練人は郭長生である。この代から継承人が初めて独流鎮以外の者から現れたのである。劉玉春は最初石慶山を単伝人としたがわずか三十歳で亡くなった。その後、単伝人を郭長生に改めた。
郭長生は1927年、南京中央国術館館長張之江の招きにより苗刀・散手教授となり指導を行う。
中央国術館での指導の合間に当時学生であった郝鴻祥(上海武術界の重鎮、技撃家)、馬英の高弟程健(故人元国家体育委員会)と「合一通背拳」の研究と実証実験を積み、「通臂二十四勢」を創始した。そして「通臂二十四勢」の精華を武器術にも生かし、従来の長い苗刀の套路を基本習得の一路、実戦使用の二路に再編。そして新たに劈挂刀・瘋魔棍を創った。
2.合一(独流)通背拳継承人
合一(独流)通背拳の単伝説ついて歴代の先人達の多くは保守的で通背拳の技に関して秘密裏にして表に現さず、軽々しく伝えなかった。その為あまり広く流行しなかった。
単伝を受ける者は、必ず全ての技を継承し、その拳理拳法の奥義と精髄を理解しなければならない。
単伝を受ける人には、非常に厳しい条件が課せられている。この条件に合致しない人は、例え血を分けた子女であっても伝えない。
単伝を受けた人は技芸を更に伝えてゆき、一代において一人の人に伝える。伝えなければ先人の残した技芸が失伝してしまう為、それが罪にあたる。これから伺えるように単伝には非常に厳しい一面がある。
「単伝人」は多くの弟子の中から群を抜いて優れた技の持ち主で技芸を受ける諸条件を備えた人物を選び出して「単伝人」とするのである。
師父は単伝を受ける人に「練人(練習相手)」を探し付ける。「練人」は「単伝人」と同じように技芸に優れた者を練習相手として選び訓練に付き合わせる。但し全伝は授けられない。全伝を授けられるのは「単伝人」のみである。こうして技を養ってゆくことによって単伝を受ける者は進歩が更に速くなる。
3.通臂二十四勢の風格と特徴
滄州に伝わる「通臂二十四勢」の内容は以下のとおりである。
特徴
1 快(速い)
2 活(活発)
3 多変(変化)
4 沈長(重く力強く)
「通臂二十四勢」は厳密に構成されており、その勢法は精密で優れている。歩法は敏捷で変化に富み、 動きは激しく連続攻撃性が強く、実戦における威力は絶大である。
武林界では「通臂科学、芸高技絶(通臂の技芸は卓越し、絶妙である)」と「通臂二十四勢」を称える。
合一(独流)通背拳単伝人郭長生が新たに創始した「通臂二十四勢」には定まった套路はなく、唯二十四種の単打勢しかなく、故に「二十四勢」と呼ばれる。
二十四種の単打は攻撃をする部位によって上中下の三盤に分けられている。この単打動作を三つの単打を組み合わせたものを「小組合」、五つの単打を組み合わせると「大組合」と呼ぶ。この様に自由に組み合わせることにより千変万化し無数の組合せた招法を形成する事が出来る。
これが「通臂二十四勢」が「千趟架子、万趟拳、出来一勢打不完(千の架子と万の拳があり、一つの勢(技)で限りなく打てる)」と言われる所以である。その技は自由自在で速さは疾風怒涛の如く風雷が突き抜けていく様である。
技撃練習における要求
「手似流星、眼似雷
腰似蛇行、脚是鑚」
「通臂二十四勢」には散手練習において色々な練習方法が段階を踏んで行われている。技撃練習において基本的には前段で書いた「小組合」・「大組合」のコンビネーションを主に練習する。「通臂二十四勢」の組合せの中では各々の技法の間はお互いに連携しあい、お互いに交錯しあっている。攻撃の中に防御を含み、防御の中に攻撃を有し、自由自在に機に応じて変化する。法のすべてが実用的で動作は整った動きで体全体が纏まり、勁力が満ち溢れている。身体の動きがスムーズに繋がり、連続攻撃が強くなり、接触すれば相手は防ぎようがなく、一挙に相手を倒す事が出来る。
4.通臂二十四勢の内容
滄州に伝わる「通臂二十四勢」の内容は以下のとおりである。
1.通臂功
①掄臂 ②双掴打 ③震臂 ④控身 ⑤擺身 ⑥甩腰 ⑦烏龍盤打 ⑧展縮 ⑨下鎖
2.基本単式(二十四勢)
① 斬 ② 払 ③ 撑 ④ 横 ⑤ 劈 ⑥ 拽 ⑦ 崩 ⑧ 提 ⑨ 挂 ⑩ 攔
⑪ 卡 ⑫ 炮 ⑬ 挑 ⑭ 鞠 ⑮ 掃 ⑯ 点 ⑰ 將 ⑱ 暗下取火 ⑲ 疾歩勾子 ⑳ 掖
㉑ 撹 ㉒ 肘 ㉓ 撩 ㉔ 搠
その他
㉕ 太極勢 ㉖ 猿猴勢(失伝)
3.歩法
①激絞連環歩 ②吊死歩 ③交叉跳歩 他(24種類)
4.散手訓練法
①短打 ②軟八手 ③硬八手 ④夢短打